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日 時 |
第48回目
本の編集とかに、まったくの門外漢であるボクは
末席を汚すだけの存在だったが、
みんなそれぞれに一家言をもち、
決まった本の内容は従来の10集までとは、まったく趣をことにするものになった。
版はA5からB5へと一回り大きくなり、
内容も多岐にわたり、
見違えるように読みやすい体裁に仕上がった。
流通は従来どおり、富民協会が引き受けてくれた。
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2006/04/08 15:52 |
第47回目
不死鳥のように立ち上がる「百姓天国」
一九九五年9月発行の10集をもって
「いったんお休み」宣言をして「百姓天国」は終了した。
誰もがそう思った。
稼ぎがすくない、
毎日の百姓仕事で目が回るほど忙しい、
そんな合間を縫っての編集会議。
編集委員はボランテイヤであり、
会議場までの交通費は自分モチである。
会議の場所は中心編集者の自宅だ。
こうして「強烈な使命感」にも似た情熱で発行されていただけに、
いったん熱が冷めると、
良い思い出に浸り、
その思い出を大切にしたいがゆ...
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2006/04/05 10:36 |
第46回目
そして、そして、やはり一九九五年9月発行の10集をもって
「いったんお休み」になり、
同時進行していた「英語版百姓天国」が
1〜10集から「よさそうなものを選んでの特集」として刊行された。
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2006/04/01 21:29 |
第45回目
「百姓は天国だ」なんて普通の百姓の集まりでマジで言ってみたことありますか。
帰ってくる言葉は
「天国だもんか、地獄だ」
「おまえ、頭が狂ったんじゃないか」
「でもまあ、おまえさんはわざわざ脱サラして百姓はじめたんだから、別だろうけど」
「天国なら百姓やめるヤツなんか一人もいないよ」
「日本中百姓やり手がどんどん減って、
後継者不足だとかいって、都会のエライさんたちが大騒ぎしてるじゃないか」
というものばかり。
そんな地獄の百姓に天国からわざわざ降りてきたようなボクは、
何回「...
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2006/03/30 11:43 |
第44回目
このようなスタンスで
九三年八月に第六集、九四年三月に第七集と定期的に発行され、
ボクの新百姓物語は快調に連載され続けていたが、
文末に「続きはまだまだ長いのですが,
これで中断させていただきます」と書いて、
同年八月に八集には
「百姓を集めての環境保全型農業の説教はやめてよ]
という、他の執筆者に同調するかのように論文みたいなものに転換してしまった。
九五年二月の第九集は再び、以前のような私小説風作品の連載に戻るか、
前号のような論文調にするかで、
迷ったあげく投稿をパスし...
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2006/03/24 21:12 |
第43回目
百姓天国の発行はその後も順調に続けられた。
九二年八月に第四集が、九三年三月には第五集が・・・・・・・・・・。
三集から四集にかけては、田舎暮らしの本に月刊で連載されていたので、
同時に二本の連載を掲載していただいていたことになる。
しかもテーマはどちらも自分の脱サラ百姓参入とその後のこと、
と同じなのだが、
ボクは両方を読んでいる読者を念頭において書いていた。
田舎暮らしの本連載分はすでに書き上がって、
すべてを出版社にわたしてしまってあるので、
百姓天国への執筆分に神経を使...
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2006/03/20 23:43 |
第43回目
百姓天国の発行はその後も順調に続けられた。
九二年八月に第四集が、九三年三月には第五集が・・・・・・・・・・。
三集から四集にかけては、
田舎暮らしの本に月刊で連載されていたので、
同時に二本の連載を掲載していただいていたことになる。
しかもテーマはどちらも自分の脱サラ百姓参入とその後のこと、
と同じなのだが、
ボクは両方を読んでいる読者を念頭において書いていた。
田舎暮らしの本連載分はすでに書き上がって、
すべてを出版社にわたしてしまってあるので、
百姓天国への執筆分に神経...
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2006/03/15 09:24 |
第42回目
徳島に移住直後には、
県農業会議の相原さんの尽力で、
徳島新聞、NHK徳島、四国放送などが取材にきてくれたおかげで、
県内からも相当の宅配野菜の希望者に恵まれるなど、
地道な足で個別を巡回するというような営業活動をすることなく、
最初からほとんどすべての野菜が販売できるようになったのだ。
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2006/03/13 14:38 |
第41回目
93年新年号では
「虫なんて嫌いだ(2)今関知良・キレイな百姓宣言」
今回もボクの営業紹介で、
宅配野菜の購入者、月刊ななほしてんとうの購読希望者のほかに、
「農を目指す都会人のための体験農場・縁農塾の体験生募集」
もあらたに追加して掲載してくれていた。
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2006/03/12 10:19 |
第40回目
K社からは約束通り2週間で返事が送られてきた。
著者と会社が経費折半〜共同企画出版で、
著者の負担金はだいたい80万円前後で、
初版は一〇〇〇部だとの回答だった。
しかし、わたしが得た情報では、
この金額は事実上著者の全額負担以上に相当すると聞いていたし、
六興出版での契約内容(著者負担金なしで10%の印税がもらえる)が、
まだ頭にこびりついていたので、
わたしはあっさりと断った。
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2006/03/09 22:54 |
第39回目
井の中の蛙大海を知らず、
中央公論社、文芸春秋社の受付嬢から侮辱的なことを言われ、
そのうえ「どうせ読まないし、検討もしない」と解っていながら、
心血こめて書いた原稿を受付においていく
作家を夢見る人たちの群れを見て、
わたしは哀れを感じざるをえなかった。
わざわざ徳島からやってきた自分が惨めになり可哀想になった。
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2006/03/06 10:25 |
第38回目
野菜の宅配出荷を妻に頼んで、
二泊三日の計画で上京し、
適当に探した出版社への飛び込みセールスをすることにした。
当時、わたしは出版事情には無知で
有名なごく一部の社名しか知らなかったので、
まず中央公論社を訪問した。
雨の中の訪問で、濡れた傘を受付台にたてかけるも、滑って倒れてしまった。
「出版して欲しい原稿を書きました。
ぜひ検討していただきたいので、
編集部の方にお会いしたいのですが」
と言いながら茶封筒に入った原稿をさしだすや、
受付嬢の態度は急変し、
ニヤニヤし...
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2006/03/04 19:52 |
第37回目
契約書は出版業界共通の印刷されたもので、
販売定価、初版発行部数、印税率、印税支払日の部分のみ当事者双方が記入するものだ。
手紙の内容では「定価は1500円にした。
無名の新人作家の場合、初版は2000から3000部が一般的だが、
6000部にし、印税率も特別に10%にしたと。
この契約書は早く送るべきだったが、
倒産してしまい編集長から自分が預かっていた」とのこと。
わたしは遠方在住のため契約書は出版社から郵送で送られてきて、
甲を手元におき、乙に印を押して送り返すことになって...
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2006/03/01 23:09 |
第 36回目
末{にするための作業は
編集者が文章の点検をし、
デザイナーが体裁を考え、
イラストレーターにイラストを依頼し、
そして一次校正を経て、
わたしの手元へ「著者校正」としてゲラ刷りが送られてくる。
一部順序の変更があったが、
文章はほとんどいじられていなかった。
二、三日で校正をすませて送り返した。
ついでタイトル、表紙絵が決まり、ファックスで送られてきた。
「発売日・1992年8月20日」と奥付には印刷されていた。
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2006/02/22 11:34 |
おだてられて木に登った豚は、落ち・・・・・( 35回
魔アの頃は借地農地の拡大がすすみ、
入植当時3反だったものが8反になり、
昼間の農作業が多忙を極めていた。
だが、一流出版社からの依頼で本を出版できるいう、
またとないチャンスを生かさなければならないと、
夜の8時以降はワープロにへばりつくような毎日になった。
そして91年12月には所定の枚数を少し上回って原稿用紙換算で
370枚ほどの原稿が書き上がった。
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2006/02/21 16:50 |
おだてられて木に登った豚は、落ち・・・・・( 34回
たとえ好意的であるにせよ
「農村独特の雰囲気」云々の記事を毎回のように掲載していたので、
研修させていただいていた小林さんが
どんな気持ちで読んでいるのかが心配で、
住民図書館訪問の折りに伺って感想を聞いてみた。
「今関さんの記事で逆に励まされたよ。
農村の現状に対峙し、背を向けていた自分を反省した」と。
そしてこれからは先入観を持たずに積極的に
そのような中へ飛び込んで行くとまで言っていただき、
わたしのほうこそ感動したのだった。
小林さんは従来からの農家でありながら、
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2006/02/19 22:19 |
おだてられて木に登った豚は、落ち・・・・・( 33回
磨i一)まずは退社
「あのー、おはようございます。昨日、前の家を借りて引っ越して来た者です。
これ、つまんないものですけど、挨拶がわりで」
三個入りの化粧石鹸セットを差し出しながら名前を名乗った。
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2006/02/17 11:12 |
おだてられて木に登った豚は、落ち・・・・・( 32回
麻{クは山川町へ引っ越してきたばかり、
しかもすでに住んでしまっている土地家屋の代金が、
契約支払日が切迫しているにもかかわらず、
三芳村の家が売れてお金が入らないと支払いが出来ないという、
綱渡りの状況で、
手持ちのお金をすべて吐きだし、
生命保険、損害保険などすべてを担保にして
高利(9%以上)のお金を借りて支払いにあてるも足りず、
辛うじて進学熟講師のアルバイトで細々暮らすという
極限状態にあったがために、
準備会に一度も出席することができなかった。
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2006/02/14 10:06 |
おだてられて木に登った豚は、落ち・・・・・( 31回
鱒V天地への引っ越し(一九九〇年七月、九二号)
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2006/02/13 10:21 |
おだてられて木に登った豚は、落ち・・・・・( 30回
毎っ越しは七月上旬になった。
ボクはその顛末をどうしても書かなければと思い、
H農園引き上げの経緯を、やんわりと書くことにした。
もう、悔しくて、悔しくて
「書かないでおこう」と決めてはいたが、
どうしても口をつぐんではいられなくなってしまった。
というより、口から吹きこぼれてしまったといったほうが自然かもしてれない。
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2006/02/09 11:50 |